教科書検定制度の変貌――日本の教育法令の歴史8
2008-11-27


先に述べたように、教科書検定制度は明治19年・1886年の学制改革と同時にはじめられた。小学校だけでなく、中学校、師範学校についても教科書の検定が行われることになり、同年5月「教科用図書検定条例」が定められた。この検定条例は翌年5月には改められ、「教科用図書検定規則」が定められ、その後はこれに基づいて検定制度が運営された。この検定規則によると「教科用図書ノ検定ハ止タ図書ノ教科用タルニ弊害ナキコトヲ証明スルヲ旨トシ其教科用上ノ優劣ヲ問ハサルモノトス」というもので、この時点では教科書の検定は教科用として弊害のないことを証明するもので、内容上の優劣は問わないことになっていた。森有礼は、教育は開明された国民によって自発的に改良進歩されるべきものと考えており、教科書についても改善の効果があがったときには、検定制度廃止を考えていたようだ。

 ところが、森文政が終わりを告げた3年後の明治25年・1892年3月には「教科用図書検定規則」の第一条が改正され「教科用図書ノ検定ハ師範学校令中学校令小学校令及教則大綱ノ趣旨ニ合シ教科書ニ適スルコトヲ認定スルモノトス」と改められ、積極的に内容を問題とし、検定による国家統制の意図が示されたのである。この後、国家の中央集権化が進むにつれ、教科書国定化の建議がしばしば為されるようになる。

 中国の初めての学制が頒布された時期は、日本の教科書国定化が始まった頃と重なることになる。

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
文部科学省「学制百年史」
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