デューイの訪中とアメリカ式学制への関心の高まり
2010-03-03


 中華民国学制の大きな転換は、五四運動のさなかに、北京大学の招きで訪中したアメリカの哲学者・教育学者ジョン・デューイの訪中をきっかけに訪れる。訪中を要請したのは胡適で、デューイは胡適のアメリカ・コロンビア大学時代の恩師であった。中国を気に入って二年二ヶ月にもわたり滞在し十一の省を講演旅行したデューイは、講演等を通じてデモクラシーの政治とプラグマティズムの哲学を提唱し、当時の中国思想界に大きな影響を与えた。教育界も例外ではなく、デューイ訪中以降、中国国内ではアメリカ教育への関心とアメリカ式学制への改革を望む声がにわかに高まった。

 

※五四運動 一九一九年五月四日、北京の学生がヴェルサイユ条約反対と親日派要人の罷免を掲げ、デモ行進したのが全国に広がった、反日、反帝国主義の大衆運動である。政治的背景としては袁世凱政権による対華二十一ヶ条要求受諾、中国軍閥と日本の密接な関係があり、また文化的背景としては、新文化運動と白話文運動があった。

※胡適 一九一〇年アメリカ・コーネル大学で農学を学び、次いでコロンビア大学でデューイに師事しプラグマティズム哲学を学ぶ。一九一七年雑誌『新青年』に「文学改良芻議」をアメリカから寄稿して白話文学を提唱、理論面で文学革命を後押しした。その後北京大学学長となった蔡元培に招かれ帰国、北京大学教授となっていた。

参考:齊藤秋男『中国現代教育史』田畑書店、1973年。


[中国の教育]

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