論文・今井航「壬戌学制制定過程にみられる胡適の果たした役割」を読む
2010-03-03


2009年5月12日の当ブログの記事「中国・民国期、日本学制からアメリカ学制へ」で書いたように、デューイ訪中以降のアメリカ式学制への関心の高まりから、一九二二年にアメリカ学制を導入した「壬戌学制」(正式名称は「学校系統改革案」)が制定されたと理解していた。それは間違いではないのだが、最近、今井航氏の論文「壬戌学制制定過程にみられる胡適の果たした役割」を読んで、この学制制定にあたり、胡適が積極的に関わっていたことを知った。

この論文によれば、壬戌学制は一九二二年十月に済南市で開かれた第八回全国教育連合会で議決された学制系統案をほぼ踏襲したものである。この学制系統案、実は次の三つの案が土台となっていた。

一つ目は一九二二年九月に教育部主催の学制会議で議決された学校系統改革案

二つ目は一九二一年十月末から十一月初旬にかけて広州市で開かれた第七回全国教育会連合会で議決された学制系統草案

三つ目は江蘇新学制草案討論会で議決された学制系統草案修正案

中でも一つ目と二つ目の二案の折衷・調整が難航し、このとき調停に動いたのが胡適であったらしい。結局「審査会の進行を渉らせるため」胡適が三案を参酌して調停案をまとめ、底本とする書面を起草した。

この底本に基づいて第3−5回までの甲組審査会で審議が行われ、幾つかの点を変更した以外はほぼそのままの形で議決されたというから、今井氏が指摘するように、胡適は壬戌学制(
学校系統改革案)制定において重要な役割を果たしたといえるだろう。

中国近代の六・三・三制導入について今井氏の本が出ているようなので、こんど読んでみたい。

読んだ論文:今井航「壬戌学制制定過程にみられる胡適の果たした役割」(『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第五十五号、2006。) [URL] 参照




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