青森旅行記3−斜陽館・金木
2010-06-12


 弘前から約一時間、作家・太宰治の故郷・金木へ行きました。太宰治の生家・斜陽館は明治時代の津軽地方指折りの大地主だった津軽源左衛門(太宰の父)が建築した和洋折衷の豪邸です。米倉にいたるまでヒバを使った贅沢なつくりで、レンガの壁、当時は大変高価だったガラスの窓ガラス、シャンデリア、立派な米倉…当時の栄華を偲ばせます。
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当時は使用人は板の間で食事をしていたそうです。いろりの横の板の下には墨を入れて置くところもあったり…収納に工夫がこらされています。
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この立派な階段を上って二階へ。二階は洋間もあり、金色のふすまの座敷もあって、凝った作りです。
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斜陽館という名前は旅館になったときに太宰治の小説「斜陽」の名をとったものだそうですね。二階の和室のふすまに「斜陽」の文字があったのも命名の理由の一つだったのでしょうか。
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太宰の母・たねさんのお部屋から見るお庭はまるで絵のようです。たねさんは病気がちでおとなしい方で、子供達にもとても優しいお母様だったとか。
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こちらは三年前に公開された「新座敷」。元々は斜陽館に繋がっていました。太宰の兄・文治が結婚したときに新築した建物だったのです。ここが戦争中焼け出された太宰一家が疎開した場所です。といっても、いまは斜陽館に繋がっていません。元の場所から離れているのは、文治が家を売却した際、家族のためにこの部分だけ切り離して移築したからだそうです。津島家が手放して、呉服屋さんが倉庫のように使っていたのを、そのご家族が公開するようになったとか。ここで書かれた作品を間取りを考えながら楽しめるなんて、素敵ですね。
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ここが金木駅、小さな駅です。単線です。一両の電車が停まっていました。よくみると電車の前には太宰の絵が。大作家・太宰治はいまや津軽の誇りなのですね。
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これを機会に太宰作品を読んでみようと思っています。まずは「津軽」あたりから。

[子育て日記]

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